社会人生活を始めてから10年以上が経過して、それなりに経験を積んできた。
その中で社会人(特に会社勤め)にとって重要なのは、人にも会社にも期待しないことであるというのが、現時点での僕の結論だ。
居酒屋でサラリーマンが「〇〇はやる気がねぇよな」とか「ウチの会社はここが駄目だよな~」なんてことを、酔っ払いながら大声で愚痴りあってる姿を見る。
でも僕からすればあれほど無駄なことはない。期待しているからいけないと思ってしまう。
期待するだけ無駄
人や会社への期待なんてものは、その通りにいかなくて当然だ。
答えは簡単で、人も会社も自分がコントロールできるものではないから。
前述のサラリーマンに言ったら、「俺は期待なんてしてない!」と反論されそうだけれど、だったら何で怒ったり愚痴ってるんだという話である。
期待していなければそういう感情が沸き立つことはないし、「まぁそんなもんだよね」で終われるのだ。
人に期待しないだけで『優しい人』認定される
人に期待せず過ごしていると、良いことがある。
それは勝手に周囲から『優しい人』と認定されることだ。
僕は誰かが失敗してその尻拭いをさせられても、怒ることなく笑顔で対応している。
何故なら期待していないからだ。
そういうやらかす奴はある程度決まっているので、何か起きて僕の方にしわ寄せがきても、「あ~やっぱりね」としか思わない。
何より最終的に責任を取るのは上司だし、不利益を被るのは会社だ。
僕の給料には一切影響がないので、特に困ることもない。
でもそんな風に不満を言うことなくやっていると、周囲は
「迷惑かけられてるのに怒らないし優しいよね。怒ることあるの?」
なんて言ってくる。
こうなれば、あとは立ち回りを間違えなければ好印象を持ってもらえるのだから、色々やりやすくなる。
特に何をしているわけでもないのに、そうやって認定してくれるのだから、お得というものだ。
会社に期待しないだけで『ちゃんと仕事する人』認定される
会社に期待しないというのは、具体的に言うと会社の不満を言わないことである。
会社は経営者が儲かることが最優先であり、その下で働く社員のことなんてどうでもいいと考えている。
だから方針の変更や新規事業の展開など、何かあるたびにこっちは振り回され続けるしかない。
これに対してどれだけ不満を述べようが微塵も変わらないことは、社会人を数年やれば誰でも分かることだ。
だから会社に期待せず、とりあえず言われたことをやっていればいい。
もちろんできる範囲内での創意工夫は必要だが、続けていれば「何も言わず黙々と仕事をこなすデキる人だ」と周囲から言われるようになる。
結局のところ、見せ方次第でどうとでもなってしまうのが、社会人というものだ。
期待すると損するだけ
人にも会社にも不満を言いまくっている人を見ていると、「損しているな」と思う。
自分の期待通りにいくことなんてないのに、それを口に出してもマイナスイメージは増すばかりだ。
彼等の言っていることはもっともなのだが、それだけでは何も変わらない。
世の中はそういうものだと、期待しない方向に切り替えた方がずっと生きやすい。
それが嫌で何とかしたいなら、起業するなりフリーランスとなるなど、自分の意志でどうとでもできる働き方へシフトチェンジすべきだ。
『ルート分岐』と「分岐ごとの対応法」を考えておく
最後に大切なことを1つ。
期待しないことは、何もせず諦めるのとは違う。
事前に対策はしておく必要がある。
それが『ルート分岐』と『分岐ごとの対応法』の2点をおさえておくことだ。
ルート分岐とは、端的に言うとifの世界の話。
例えば人物Aに作成を頼んでおいた「来週のプレゼンに必要な資料(明日が提出期限)」があるとする。
これを
①既に作成してあり明日ちゃんと提出してくれる
②半分くらい作成済みだがこのままでは明日に間に合わず、提出期限の延長を交渉してくる
③何も作成していない
と3つの分岐を想定しておく。
そして『分岐ごとの対応法』では、どれになったとしても対処できるよう事前に準備できるものはするし、できなければそれを踏まえたスケジュールを考えておくのだ。
もちろん想定外のケースも多々あるが、最低限の心づもりができているだけでも、精神的にかなり楽になる。
期待せずにいることが心の平穏に繋がる
社会人として生きていくにあたって、期待しないことは心の平穏を保つための手段とも言える。
人も会社も、期待してもロクなことは1つもない。
ストレスが溜まるだけなので、冷めた目で見ておくくらいで丁度いい。
所詮金を得るためにいる場所なのだから、それが脅かされない限りは、自分がやるべきことを最低限やればいいのだ。
もし今、人や会社にイライラしている人は、噓だと思って期待することを一切やめてみてほしい。
今まで無駄なエネルギーを使っていたなと、きっと思うはずだ。